<久太と渋六 
日なたぼっこの会の約束>
           堺 利彦



<久太と渋六 日なたぼっこの会の約束> 堺 利彦

和田久太郎君が去年以来、監獄から私によこした手紙を集めて、繰り返し読んで見た。

そこに『久太と渋六』の面影が(少なくとも私にだけは)非常に面白く現れている。

以下、それを抄録して見る。

「11行『獄窓から』に収録……しぶ六先生を真似て俳句を二三作って見ます。久太。

監獄の鳩もへったぞ秋の雲

秋の蝿がまじまじ俺の顔を見つ

小便で顔うつしけり今朝の秋

十三、九、十一」



「『獄窓から』


未入力 11行 


近作。

雑念に見る雲早し秋の風。

お隣は転房されて夜雲かな。

久太。 十三、十、廿」

「未入力


例によって近作二三。

浴み後のつかれ嬉しき小春かな。

座禅未だ芒が鼻を撫づ思い。

時雨来や麦飯の陽気温かく

噛みためし小石を捨てん冬の風。

十三、十一、六」

「先づ御芽出度う!

『年が又暮れる、僕は五十六になる』というのを見て「へえ__五十六!」と、急に貴君が老人になった様に感じましたっけ。

しかし、考えて見れば、売文社の玄関番だっ僕が、もう三十三ですからねぇ。

……貴君も大切にしていて下さい。再び社会でお目に懸かれたら、

日南ぼっこでもしながら昔し噺のお相手になりましょう。

十四、一、六」


註。この『日南ぼっこ』には由来がある。

 或時(原が刺されたり、安田が殺されたりした頃)私の家の縁側で、和田君と村木君と私と、三人が日なたぼっこをしながら、いろいろ昔話をした事がある。

その時、『飛行機その他続々落ちる小春かな』という私の俳句を、和田君が面白がったりしたついでに、

『梅毒と肺病と禿頭が日なたぼっこする小春かな』という様な即吟をやった。

「僕の監房に、ひさしと高塀の間から、朝廿分ほど日がさし込みます。 一番嬉しい時間です。

初日影一尺ばかり漏れにけり。

その僅かに見渡し得る塀の上の少し離れた處で、時々焚火の煙が見えます。……

憶うかな、焚火に映えし悲痛面。

十四、一、六」




「村木も死んでしまいました。死顔を見てやって下さった由、御礼申ます。

病監へ行って、その明くる日もう駄目だったんです。ただ、気持ちだけで保っていたような体でしたからねぇ!]

十四、二、十六」 (この村木が即ち、前記日なたぼっこの『肺病』だ。)

「2行未入力

…8行収録 ………句屑片々。

きらりぽたり雫す春のおもみかな。

長閑さが淋し過ると鳴く鶏か。

鶏の声霞んで眼には塀の笞。

<「あくびの泪」に収録>

(母を懐う)

古土瓶洗いて居ればたわいなくぽろと欠けたり母を憶いぬ

苦しみを歯に喰いしばる癖ありし母のその歯もいまは亡せけん

真ごころに神も仏も拝み得ぬ母の産みたる汝ぞと泣かれし

(十四、三、三一)」

「 <「あくびの泪」に収録>

(公判廷にて)

うち集う友と相見て笑み交わす法廷ゆえに楽しかりけり。

裁き給う尊き顔の鼻先きへひょいと飛び乗り蝿欲しぞ思う。

<「あくびの泪」に収録>

帰獄。

夕闇の空を仰げば病む友の青き手見えぬ帰り居るらし。

一茶句集は、いまだに香水の香が残っています。あれは為子夫人の御心づけだろうと思います。

よろしく。 十四、六、十七」

「体は丈夫です。御安心下さい。古田君は『菊の咲く時分に殺して貰いたい』と言ってるそうですが、

僕も秋が好いとは思うが、『桔梗の咲く時分に__』と言いたいですな。しかし獄には、

1行半抹消 

桔梗は見当たらないから『赤蜻蛉のとぶ時分に__』と言いましょうよ。

……馘れ馘れ。南京虫のくらいかす。……… 十四、七、八」


「収録 十四、八、十九」

「…… 飯入るる穴で即ち夕涼み。 ……

<「あくびの泪」に収録>

泥を吐く我は鮒かも青葉散る晨の風に深く息吹けり。

朝風の運動場に青々し落葉ひろい頬ずりにけり。

紡績の女工の如く蜘蛛の巣の白きを被ぐ花檜はも。

むくつけき花にしあれど女檜と聞けばやさしもあが妻にせん。

吾が妻の花の檜はおどろおどろ窓をへだててうちやつれ居り。

十四、八、二九」

「差し入れの御馳走、有難く頂戴しました。……<以下『獄窓から』に収録>

いよいよ僕の一番嫌だと思っていた『無期に決定しました。が控訴はしません。

……古田君が時分の直ぐ傍らで縊らるゝのを知りながら、自分は控訴してそれを見ているに堪えないんですよ。

気持ちがね…… それに、……

此頃では『十五年、廿年という刑と無期となら大した違いもあるまい、どうでもいゝや』というづぼらな気に成ってしまった事です。

……  さて、斯うなってくると、いつかお約束した『日南ぼっこ会』も少々空想の霞がかゝった様な感のないでもありませんな。

僕の思うのに、貴君も少なくとも此後ち『十五年間』は生きていて下さらないといけませんよ。

僕もいまから『十五年間』は、何んとかして、衰弱と病気とに(肉体的にも精神的にも)苦闘しながら、一生懸命生きて居ようと思っています。

『日南ぼっこ会』という、すばらしい理想の為に。

……… 赤に成ったら、またぼつぼつ英語と数学とをやりたいと思っています。

英語と数学が一歩々々 進んで行けば、そこへ自分の『生きて行く』という気持ちがよりよく自覚されようとおもってね。

それに新しい社会には、統計が……従って数学が……最も大切だと思うから、

僕の数学が実を結んで、しかもそれがその時の役に立つ……てな殊勝に望もあってね。

ハッハッハッハッハッ。まアどうかして麦飯で英、数を釣り上げたいものです。 

昨日の公判で、……僕は、判事が判決文の前段をくだくだしく読み上げているうちに、秋雨の音をきゝながら独り句作に耽っていました。

そして、言渡しの済んだ時には、確か三句ほど書きつけていました。いまは忘れてしまった思い出せません。

その句を。

秋雨を餞けらるゝ別れかな。

これはその日帰ってから作った句です。帰りの自動車の中では、

見納めの街は秋雨昼灯、

と駄句りました。下る迄には、まだまだメイ句が吐けそうです。……… 十四、九、十一」


堺生云。



九月十七日、私は和田君に面会して別れを告げた。今後十五年間生きる事は、

僕によりは君の方に可能性が多いと云うと、和田君はいつもの癖の、右の手で顔を一つクルリト撫でて笑った。

又、近々何かの雑誌に『日なたぼっこ会』の事を書く積もりだと云うと、ああそれはあんたの筆に似合った題目だと云って笑った。

私は今それを、こういうズルイ形式で書き現わした。


「和田久太郎君の事ども」

堺利彦

昭和三年二月××日、和田久太郎君が獄中で自殺した。

…… 先ず和田君の遺著とも云うべき『獄窓から』を少し読んだ。

少し読むと、あとからあとからと引続いて読みたくなる。

考えては読み、読んでは考える。手紙と俳句と随筆とが無限の興味と感慨を起させる。

…… 『この上はウンと馬鹿になって、生きられるだけは生きているつもりだ』と云った彼が、

とうとう矢張り自殺した心持ちも分って居る。

私のような、自殺の出来そうにない弱い男は、いろいろ苦しい思いをする。

彼の死んだという報知に接した時、私は胸がピタリとつかえるという感じもした。

久太の一生涯の荷がおりたのだ。

『もろもろのなやみ消ゆる雪の風』辞世の句も嬉しい。